メンタリストのYoutubeが止まった事からの学び
彼を擁護する子供たちが思うだけは自由なんだと盾にしていましたが表現や思想に自由なんてものはないんですよ。
本当に自由なら日本に警察はいらないし不適切な思想で処分される政治家はいない。
ごくごく普通の当たり前な話です。
たまに馬鹿な大人が表現の自由を履き違えてますが、怒りを表現したつもりで実際にやるつもりがない犯罪予告や
小学校に包丁を小包で送りつけるような感情の表現は逮捕に至ることから、当然表現の範疇に制約があることがわかります。
刑事罰にならずとも、五輪組織委員会が矢継ぎ早に辞任に追い込まれたのもいい例ですね。
また最高法規では憲法を尊重し擁護することが公務員等に義務付けられています。
自分たちの頭上にいる国会議員や天皇陛下ですら、個々の行動や思想を縛り付ける憲法が存在している。
このことから人間社会に置いては思想にも自由はないと理解できたと思います。
私たちが生まれながらに享受してきた国の基盤、恩恵、義務教育が無償等の国民の権利は須らくこの日本国憲法に記述されているものなので
日本国憲法には楯突かずによく感謝をして、DaiGoに同調を覚える暇があるなら日本国憲法 第三章 国民の権利及び義務を読んだ方がよっぽど為になります。
僕はDaiGoの投稿動画を見るなとまでは言わないですが、ちんこをズボンから出して道を歩けばわいせつですよ。と
この当たり前に並ぶ簡単な問題がわからなかったのがDaiGoなので親御さんと子供さんには知的キャラではないと十分注意して視聴してほしいと思いました。
子供の興味が引けることが嬉しくて意味のない嘘をつく病気の大人は珍しくないです。彼はその一人です。言葉を鵜呑みにして恥をかくのは子供です。
平成の頃にも度々日本は水道水が無料と誰かが言った言葉を信じてやまない子供が水道料金で弄られている光景を記憶しています。
恥をかいてもいいですが、恥をかいたら大人は嘘吐きがいっぱいで
これからは人から見聞きしたことをすぐに口にする行為をやめて、沈黙は金なんだと成長の糧にして貰いたいですね。
ひろゆきの敗北 なぜ彼は弱いのか
そもそも議論はソースに基づいて話せるならそれが最良なだけで、ソースが一切ない状態で会話をすることが悪い訳ではない。
ひろゆきはソースの有無に囚われすぎて、相手に明確なソースを求めるまでは問題ないが、自己の能力不足で到底ソースと呼べないお粗末な物しか提示できない場合「ひろゆきルール」に自分が引っかかり会話を続ける資格を剥奪される。お間抜けである。
昔は人並みに調べて挑むことができたのかもしれない。でも人間は歳を重ねて病気を患うこともあれば基本的に完璧さを失っていく生き物だ。
たった2本の映画をソースとして挙げることしかできない老体の自分の首を絞めるルールを課すのだからお笑い草である。
若者言葉の根拠とする主張と無関係以前に映画は創作であり実写であろうと現実の出来事ではない。
お前現実とフィクションの区別が付いているかなんて初歩中の初歩である。
フランス人じゃないひろゆきが編み出したフランス人占いで見知らぬフランス人の気持ちを肩代わりして語り、フランス人じゃない日本人がおいらの編み出したフランス人占いを否定してフランス語を語るなと固執している姿は摩訶不思議アドベンチャー 地球外生命体との接触と言っていい。
長文も、ソースなしの会話も、頭を使う頻度が増えるだけなのに、令和になっても20年前の2chに今も引き篭もっている気分で時間を止めて毛嫌いし、使い古した2chの定型文で人と喋り頭に楽をさせてきた末路と言えるだろう。
今のひろゆきくんはご都合主義の妄想の中の相手に反論して愉しんでいるらしい。